排外主義自体が暴力だという言い方

言論の自由市場に参入する前にボコって排除しようなんて、排外主義以上に恐ろしい発想だと俺は思う。差別問題以外のあらゆるトピックで相手方の恣意的な排除が是認されてしまうからだ。それは、より凶悪な意味での排外主義と呼んでいいと思う。

思想それ自体を罰することは出来ない。技術的に可能でも。

直接的暴力は、行為であり、外形的にとらえることができます。ゆえに、いついかなるときに対抗暴力を発動させるのかのルールを、誤解の余地が比較的少ない形で規定することができます。これに対して、差別などの表象を通じた暴力は、そうした外形を捉えることが困難であり、取り締まられるべきではない他の表象と区別しがたい。だから、ヘイト・スピーチに対して強権を発動させることは難しい。そういう話です。つまり、これは純粋に技術的な問題なのです

http://d.hatena.ne.jp/mojimoji/20091004/p1

言論と物理的暴力が同じという前提がまず全く同意できない。
筋力ではなく理性で勝敗を決するという仕組みは、人類が長い犠牲の上に獲得した知恵だ。
また、排外主義が規制されないのは技術的な問題ではない。実体的な問題だ。他者の権利を何ら侵害していないのに思想それ自体を理由に処罰する、なんてことは極めて不当とされているのです。人を犯す殺す埋めるといかに強く念じても、行動に移さない限り処罰されません。

  • 思想それ自体の優劣は自由な表現の場での対決にゆだねる
  • 法規制は他者への権利侵害が相当具体的な場合にのみ許される

というのが近代法の基本的な姿勢だからです。


ある主張を主張の前に規制するということ


ある主張を最初から「暴力」と位置づけ「思想・信条」としての性質を一切無視するならば、排外主義の正当性を議論の俎上に上げることすら不可能となる。議論の場外で強度の不利益を受けるからだ。それは、大勢で殴る蹴るして主張を封じることと全く変わらない。



排外主義自体が暴力であるというけど、そもそも排外主義とは何か。世界共通、日本共通、学会共通の定義があるのか。法律の要件なのか。
定義次第では、
「既存コミュニティの安定を保ちたいから新入りを拒みたい」
とか、
「異文化との軋轢が不安」
とか、ごく当然の懸念や保護に値する利益を主張しても排外主義のレッテルを貼られかねない。
結果、殴る蹴るといった意味での暴力と同じ扱いを受けれ、暴行罪のように刑事罰という強度の規制が肯定される。
いわゆるネトウヨとか在特会の人たちにも、ネットのいい加減な情報で不安を抱いてああいう行動に走ってる人が相当数いるでしょう。
この人たちは対話する価値もないアホで人権を享有するに足りない存在なのでしょうか?違うでしょう。

排外主義の表明に強度の規制を加えるならば、誤解によって過激化してる人たちを説得する機会すら無くなってしまう。懸念を正直に示すだけで暴力だと言われ、説得するまでもなく刑務所にぶち込まれることになる。刑務所に入れてから説得すればいいといなら話は別ですが、それどこの北朝鮮よって話になります。
ある主張を主張の前に規制するということは、対話のテーブルを粗大ゴミに出して金属バット振り回すようなもんだと俺は考えます。*1



排外主義者を説得するためのコスト

排外主義によって不安と危険にさらされること、それを直接的暴力よりも小さなものとして見積もることそれ自体が、そのような不安と危険にさらされている人たちに対する差別です。


小さいです。明らかに。民主主義社会を維持する上で不可避的に発生する軋轢として、是認してもらって然るべき小ささです。
排外主義者を説得するためのコスト、と言い換えてもいいでしょう。


まず、規制立法が議論されるときに対象者が反感なり恐怖を抱くのは当然です。
それでも、お互い不愉快になりながら議論を交わさなければいけません。
この不愉快さは、考えの違う人々が同じ社会で暮らすために呑まなければならないコストです。
もちろん、レイプ容認論者の男と否定論者の女性が直接対話とか無理ですよ。議論の正当性を論ずる場が維持できない程度の恐怖心を後者が抱きますから。でも、ネット経由なり匿名化すれば議論できるでしょう。排外主義だって、時と場所によって議論の場を設定する余地はいくらでもあるでしょう。
はてな界隈ではid:gingin1234っていう不愉快なまでにアホで無理解な排外主義者がいますが、こんな人だって問答無用で刑務所にぶち込まずに対話でどうにかしたほうがいいんですよ。長い目で見て。



対話しよう

排外主義が悪いといえば悪いのですが、それを安易に暴力視して言論外での規制を是認するべきではありません。
音が大きいとか大勢で取り囲んで畏怖させるといった場合には前者が後者に近づくけど、そうでない限りは排外主義も反排外主義も同等に主張の機会を保障するべきです。
対話の余地の無い主張なんて無いんだから、平和に暮らしたいなら対話するべきです。*2

*1:刑務所云々は大袈裟だという人もいるだろうけど、表現の場を規律する最後にして最強の規制が法律であり刑務所なのだ。法適用の現場を視野に入れない規制論なんて無意味だ。

*2:その対話のルールの最低限を定めたのが刑法等々の刑事法であって、明確な形でこれを破ったこないだのデモの連中はとりあえず被害者に詫びてこい。