沖縄の復帰後世代の実感
基地被害はそこまで酷くない
正直なところ基地の存在が許せないというわけではない。
基地被害は許容できないほど激しいわけではないというのが実感なのだ。
もちろん普天間基地や嘉手納基地の直近は物凄い騒音で、受忍限度をとうに超えている世帯がある。
http://www.city.ginowan.okinawa.jp/2556/2581/2582/27745/27746.html
でも、基地に面してない地域は大して基地被害を受けていない。
例えば那覇市。普天間基地まで約6km。嘉手納基地まで約15km。
たまに上空を通過する以外は騒音なんて全然聞こえない。
夜中にうるさいのは米兵なんかより地元の暴走族であり、原付のマフラーであり、犬の遠吠えだったりするのだ。
本島南部全域そんな感じで、騒音被害なんてゼロと言っていい。宮古島、石垣島といった離島は基地が無いので文字通りゼロ。
従って、下地島移設案に対して「沖縄への差別の維持」を掲げて批判するのは間違っている。彼の地にとっては純粋に公害問題でしかないのだ。
ヘリ墜落や機関銃の誤射といった事故があるにはあるが、頻度からすると、これも全県的な基地被害だとはいえない。
名護市とて中心部に米軍の姿は無く、基地被害に常時晒されてるわけではない。
基地被害は専ら東海岸の辺野古周辺に集中している。辺野古は市街地から山を挟んで遠く離れており、中心部で過ごす限り名護市民とて基地被害を意識することは少ない。
http://www.city.nago.okinawa.jp/DAT/LIB/WEB/1/nagoshitobeigunnkiti.pdf
このように、沖縄県民130万人の大半は基地被害とほぼ無縁に過ごしてるというのが20数年本島を北から南まで転々と過ごしてきての偽らざる実感なのだ。
信じられない方は沖縄旅行の際に耳を澄ませてください。国際通りで、万座毛で、ちゅら海水族館で、耐え難い騒音が本当に聞こえますか?米兵の横暴に晒されたことがありますか?*1
だから、「沖縄の」基地問題という言い方がしっくりこない。
「嘉手納らへんの」「普天間らへんの」基地問題と呼ぶ方が実態を反映してるからだ。
「沖縄県内ですら差別の構造が〜」と評する向きもあるだろうけど、横田基地がうるさいからといって、「東京の」差別問題と呼称するだろうか?
世代間のギャップ
過酷な戦争〜米軍統治を経た世代にしてみれば、現存する具体的な被害の有無ではなく、これまでの受難の経験から、「沖縄の」基地問題として把握するのだろう。
かつて、確かに米軍は沖縄の北から南までを蹂躙し、県民全体に多大な害悪をもたらしたのだ。
それゆえ、いま基地被害がどの程度とは関係なく、全面撤去することこそが過去の苦痛に対する精算となるのだろう。それは、とてもとても理解できる。
しかし、僕のような復帰世代はそのような歴史的背景を持たない。それは自分の実感とは無縁な親の世代の受難に過ぎないのだ。だから、僕は基地問題を見るときに、受難の歴史的背景なるものを自分との関係では援用しない。
僕にとっての歴史的背景とは、生まれたときから近隣を歩いてる、それほど粗暴でもない米兵であり、滅多に事故ることも無い各種航空機―印象としては町の騒々しい製材所や重機屋と大差ない―であり、それらは特異といえば特異な環境ではあるが、存在自体が甚だしい嫌悪を催すというわけではないのだ。
だから、率直に言おう。僕は県内移設でかまわない。