示談したということは集団強姦を認めたのでは?という疑問への回答

元中学教諭で教育評論家の尾木直樹・法大教授は「不起訴処分は確実。しかも、“教育的配慮”から6人に無期停学以上の処分が下る可能性は少ない。いずれ教壇に立つ可能性も高い」と推測しつつ、「本来は、彼らが教育者になれる可能性は1%も残すべきではない。退学以外の処分はあり得ない」と断じる。
「教育大学の存在意義は、一般の大学と比べものにならないくらい大きく誇り高い。居酒屋で酒に酔った女子学生と複数で性行為をして平気な人間が、教育大学を卒業すること自体あってはならないこと。たとえ法律的に妥当で、被害者が刑罰を望まなくとも、退学以外あり得ない。京教大の名誉回復も、それ以外に道はありません」
http://www.zakzak.co.jp/top/200906/t2009062310_all.html

http://kanasoku.blog82.fc2.com/blog-entry-10910.html

罪を犯したという前提で話を進めることに何故疑問を抱かないのだろうか。

  • 示談したということは集団強姦を認めたのでは?

まず、示談は無実でも行われることがあります。
相当の言い分があっても立証が困難であるとか、公判に費やす莫大な負担を回避するために、不起訴や刑の大幅な減免を期待して行われることがあるのです。*1

また、本件では示談で認めたとされる罪の内容が明らかでありません。集団強姦だったのか強制わいせつだったのか、暴行だったのか−後者だから軽微とは思いませんが−何も明らかでありません。

ですから、「示談したということは集団強姦を認めたということだ」と考えることは早計です。

  • 不起訴といっても「起訴猶予」だから証拠は揃っていたんじゃないか

不起訴には、事案の軽微さや被害者の意向を考慮して行われる場合や、証拠が不十分で犯罪が成立すると認められない場合等があります。
今回は前者なので、有罪を立証しうる証拠が存在するものの被害者の意向で不起訴となった、と理解する方も多いでしょう。
実際、検察官もそうコメントしています。

ところが、刑事裁判は検察官が有罪立証のために証拠を提出し、被告人と弁護人が防御し、それを中立な裁判所が判断する、という構造です。検察官は有罪無罪の最終的な判断権者ではありません。
「検察官が有罪を立証できると考えているけど被害者の意向で不起訴にした」
というのは、検察官が有罪だと思っているというだけに過ぎず、犯罪があったと認めることはできません。*2

  • じゃあ被害者は嘘をついてるのか?それとも加害者が圧力をかけたのか?

論理的には、犯罪がなされたか、なされてないか、二者択一でしょう。
しかし、我々には知りえないのです。ここを留意してください。
知りえないものをどうするべきか。
「強姦魔かもしれない連中を、例えば教師として生きることを何ら咎めるべきでないというのか。制裁すべきだ。」
「ウソをついて示談金をせしめた女を放置するのか。制裁すべきだ。」

どっちも間違いです。
わからない以上、どちらも何も悪いことはしなかった、と扱うのが正当でしょう。
悪いことをしたか否か明らかにするだけの手続きを経てないし情報もありません。
このような状態で一方の事実を認定することは、できません。
どちらかを非難していいのは、真実を知っている者だけです。*3

これ、法律家特有のタテマエ論のように思いますか?私は本気です。
体育会系の飲み会ではありうる事だとか、ああいう女もいるのだという予断で攻撃するには、あまりに重大でデリケートな問題だと思いませんか?

*1:もちろん、性犯罪の被害者が公判の負担を回避するべく示談に応じる、あるいは被害届すら出せず泣き寝入りする、という事態のほうがよっぽど多いでしょう。が、統計上推定できるからといって、個別の事件に直ちに当てはめるわけにはいきません。

*2:もちろん、日本では有罪率が極めて高いので、検察官の起訴可能という判断は有罪を強く推定することができます。が、推定にすぎない状態で、不起訴となった加害者を有罪視することは危険ではないかというのが私の問題意識です。

*3:大学や上の記事の尾木氏が、私や一般市民が知りえない相当の情報を得た上で有罪を主張しているのであれば、ああいう主張をしてもいいでしょう。ですが、知りえない立場の人間があれやこれや叩くのは、思い込みで人を有罪視するのと同義です。